目にみえないものの話 〜わたしは庭が怖い〜
更新日:9月24日
20代、まだガーデナーの仕事をはじめてまもない頃、大きな針葉樹の抜根作業に立ち会う機会があった。その時それを担当する庭師さんが、早朝お酒と塩で静かにその木を清めていた。私はキャリアのスタートが日本ではなく、いわゆる日本の庭師と呼ばれる人に師事したことがない。だから’庭師の習わし’みたいなものを実はよく知らない。ガーデニングは西洋ベースなのでもちろんそんな風習はない。ふ〜んそういうことをするんだな、くらいに当時は思っていたし、それを説明してくれるような人も特にいなかった。佐渡に来て自分でいろいろな仕事を請け負うようになって、今でこそ実感している。そういう心がけや行いがいかに自分を守るのかということが。いや、守るというより庭との正しい線の引き方なのかもしれない。人間だって初対面の人にずかずか距離をつめられたら嫌だし、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、尊重するということだ。
話が飛ぶが、わたしは子供の頃、突然足が動かなくなったことがある。朝起きて、起き上がれなくて、布団の中から母親を呼んだ。たぶん6歳とか7歳の時。足はそこにあるのに、下半身まるごと不在になったような感覚だった。なぜか近所に住んでた友達のお母さんに抱えられて学校にいって(そんな時に学校に行く謎。昭和生まれ)早退して病院に連れて行かれたけど、原因不明で帰された。家の天井を見つめながら、動くように神様に祈った。心当たりを子供ながらにうーんうーんと考える。そして、前日の私の過ちを思い出すことになる。
その日はお彼岸で、親戚とお墓参りに行き、おそらくスーパーテンションぶち上がり体力有り余りだった私は、お墓を爆走していた(怒れよ親)。そしてその勢いで、小さな石を飛び箱のようにして飛び越える遊びを編み出したのである・・・勘のいい方ならもうお気づきかと思いますが、それは、石ではなく水子だったのだ。ひどい。神様あらためご先祖様にすがった、ごめんなさい、ごめんなさい。ゆるしてください。許されたのか、その後から足は何もなかったかのように動くようになった。その出来事は自分の中でははっきりと記憶に残っているのだけど、子供のころの記憶だし、本当なのか自信がないな・・・と思って、去年幼馴染が佐渡に遊びにきたので聞いてみた。
「わたしさ、子供の頃足動かなくなったことあった?」
「あ〜!そんなことあったね」
この事件が、私が目に見えない世界はあると体感した、一番最初の子供の頃の記憶だ。
庭に話を戻します。数年前、突然店に置いていたガラス玉が爆発したり、家中の植木鉢が棚からおかしな落ち方をしていたり、妙なことがたくさん起きた時があった。とある荒れた現場に行った日の後のことだった。その時はなんかいろいろ変だな・・・怖。くらいに思っていて、庭との関連など考えもしなかったのだが、それから数年、再度その庭に久しぶりに伺うことになって、その仕事の帰りに、私はいつも通っている道でありえない事故を起こした。
思い返してみると、その庭ではいつも私は急いていて、まったくもって細やかに仕事をする余裕がなかった。割とたくさん切らなければいけない木があったり、パワープレイも多かった。もしかしたらその庭はそんな風に入って欲しくなかったのかも。ただのこじつけと言われればそうなのだが、頭の片隅でそういうことが意識にあがってから、庭を粗末に扱うと、とんでもなく速いスピードでしっぺがえしが来ているということに気づいた。いつもはしない怪我をする、蜂に刺される、ヒヤっとすることが起きる、小さいけど地味な制裁を受けている感じ。庭は土壌を含めて生き物の集合体でもある。見えないものの周波数のさざめきに、こちらがまずチューニングを合わせなくてはいけないのだ。
だからはじめましての庭は尚更怖い。特に、長年放置されていた庭、石があると更に怖い。古木に鋏を入れる時も怖い。土地に積もった記憶みたいなものが追加されるからだ。怖いというか畏れに近い。私がどういう者であるか、手を入れるに相応しい人間か、ものすごく試されている気がする。お久しぶりです人間です、もう一度関係性を築かせてくださいと家主に代わってお願いするのが庭師だ。なぜなら庭は人(家)と自然の緩衝地帯だからだ。そうやってきっとみんな折り合いをつけてきた。だから人の手が入らなくなった庭にはいろんなものがやって来る。住み着く。こちらが交渉を断ったのだから当たり前だ。ちなみに同業の知り合いで怪我が続いた時あって、それが土用の期間に集中していたことが判明してから土用も怖い。もう、怖いことだらけである。
ドン・ファンが知者への道の敵は4つあるといっている。恐怖、明晰、力、老い。私は庭の中で、第一の敵である恐怖といまだにひとり戦っている。それを倒せないうちは、自分のことを庭師と言ってはいけない気がする。庭師に限らず、職人はたぶんそういう見えない世界を取り扱うから職人であり、知者に近いのだ。昔の人の言い伝えとか、禁忌の理由を身体で捉え直す。習わしにはちゃんと意味がある。見ようとする。師が今いない私は、そういう意味では庭が今の師でもある。
こういう話って、みんな実はいろいろあるのではないかなと思うのですが、どうですか。店でこっそり教えてください。





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