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雨音

更新日:5月23日


またもやチャペックの話になってしまい申し訳ないのですが、今月のアンネムの読書範囲であった『恵みの雨』という章、個人的にとても好きでした。雨に左右される人間の精神状態の浮き沈み、雨を「待つ」態度、雨について交わされる言葉と、降ったら降ったでさらに多くを求めて終わるところなど。人間の不自由さや身勝手さ(それを園芸家性と言ってみたい気もする)滑稽で愛おしいドタバタ劇は、もはやこれだよこれという感じになってきています。思えばこの本は初めからそんなことばかりで、毎月毎月そのおかしみを上書きしてくるので、今年は一緒に読み進めるみなさんの存在もあり、さらにわたしの中の人類愛は膨れ上がり、どうしたものかと持て余してしまっている。


話は変わりますが、去年の夏は雨音について執拗に考えた夏だった。何故かというと、雨音楽器の制作という任務を背負っていたからである。

ことの発端は、Sound Surrounding On Sado という、新潟のexperimental roomsさんから出ている佐渡コンピに青木が楽曲参加したことに遡る。


よかったら聞いてみてください


experimental rooms さんがそのレコ発イベントとして、さどの島銀河芸術祭とコラボしたNOH & EXPERIMENT 2025 。そこでのライブに出演する為に、バンド編成という人海戦術で音数を解決することにした青木さん。結成された青木バンドで、おりちゃん(おりちゃんは普段まめやハロンという納豆屋さんをしています)とわたしは雨音担当を命じられた。超アナログな我ら、まだ音について悩んでいる時、一度おりちゃんがデカい古トタンを持ってうちに現れたことがある。竹箒でしゃんしゃんぶったたいたり、小銭とか、実際に水を使ってみたりとか、いろいろしてみたもののなかなか青木OKは出ず、そうして試行錯誤の末に出来たのが、カバー写真の円盤状の物体、我々の中での通称ほっちりである。※ほっちりという名前の由来については割愛


ライブなので、舞台上のビジュアルも大事だよねってことで、無駄に大きいのもそのためである。これを書いている今、前日のリハの時に、福島麗秋さんに「それ、机?」って聞かれたことを思い出している。初めはメンバーみんなで鳴らす予定もあってこの形になったのですが、その後役割がいろいろ変わって、最終的におりちゃんが一人ほっちり奏者となった。これが割と扱いが難しいのだ。世界初のほっちりストは立派にライブをおさめた。


種明かしをすると、中が空洞になった円盤に園芸用の軽石を入れているだけの単純な作りで、言ってしまえばレインスティックの変形版のようなもの。イメージはまるみのある雨粒の音ということで、木や和紙などをベースに、最後柿渋を何回も塗ってお天道様に当てて、最後の方はほぼ一閑張をつくっているようだった。


屋根を打つ雨音は室内にいる時には特に、雨を一番初めに認識させる要素だと思う。日本の建物(とくに昔の家屋)のつくりは音にとてもおおらかだなと思う時がある。襖一枚で空間を隔てることもそう。視覚的に遮ればよく、音響的なものは遮断する対象ではなく、侵入が許される。昔、旅館で食事のお部屋に通された際に、襖一枚すぐ隣に別のお客さんがいて、話がこちらに筒抜けでなんだか気まずくて、終始ひそひそ会話で食事をしたことがある。雨が強い日は、Siltのレジ付近はトタン屋根に落ちる雨音が大きすぎて、お客様と会話にならない時もある。他国の方が日本に来た時に戸惑うのも、この音の感覚の違いだとも聞いたことがある。


雨音は聞き慣れている音なのに、それを再現しようとすることはとても難儀で楽しい発見もあった。個々人で違う音の印象の擦り合わせのなかで、どしゃぶり、細く降る雨、雨上がりなど、わたしたちに自然と染み付いている、微細な雨の違いを聞き分けられる力みたいなものについても考えた日々だった。再現性の限界を、受け取り手側がなんとなく補うことができるのも、日本という同じ文化的背景で生きていることや、そういう身についた力のおかげかもしれないと思ったりもした。


見た目が特級呪具みたい、と青木はほっちりを割と気に入っているらしいが、今では役目を終えて、うちの玄関で異様な存在感を放っている。



 
 
 

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