労働について/Unnamed Garden 4月の記録②
- tomoyo shiina

- 5月5日
- 読了時間: 9分
更新日:5月7日
前回に引き続き、別グループの対話の内容の書き起こし要約です。
ー 子供の頃、親に連れられてメーデーを歩いた。たすきみたいなのして。
ー ストがあると動けないから大変。男の人たちは会社に泊まりがけになるから、会社に布団を持って行った。女の子は事務だからどっちでもいいんだけど。会社は止められないから。
ー 検索するとAIによる結果が出てくる。AIを使うとか使わないの意思に関係なくもう自然に入り込んできている。知識とか考えることを今全部AIに頼ってる。少し前にNHKで中国のロボットを特集していて、そのうちロボットに意思を持たせて動けるようにするってやっていてぞわっとした。手塚治虫さんがアトムで、最終的にロボットが意思を持って人間を攻撃するっていうところまでいって、それを阻止するためにアトムがどーだこーだする、ほんとに一部のロボットなんだけどそういうのが出てきて、ていうのとリンクして恐ろしい気持ちになった。(余談:手塚治虫さんはカレル・チャペックに影響を受けて鉄腕アトムをつくったという話があります。)
戦争では人間はぽーっとしててロボットだけで殺し合って人間が死ぬ、今のドローンと同じ、実際に起き始めてる。人間の動きを全部AIが学習して、同じように分析してロボットが動ける。このまま戦争はロボットがやるんだよなと思う。手塚さんは当時たしか考える力が人間との違いと言っていた。ロボットには未来をみる力はない、経験を次に持っていくということがなかったから、それがロボットと人間の壁だと小さい時は思っていたけど、そこすら崩されてきてる。手塚さんから次の段階になって、映画とかでもロボットが知識をもって人間を支配するような感じになっている。結局人間が考えていることっていうのは歴史的に現実になってきているから、あり得ることだよなと思う。その頃は自分はいないかもしれないから考えてもしょうがないけど、子供たちはどうなるんだろうと思う。
ー 友達の娘が猫アレルギーでロボットを買ったらしいんだけど、可愛くて可愛くて仕方がないらしい。旦那と二人の生活の中にそのロボットが、30万だか40万するんだけど、来たことで生活が平和になったって言っていた。育てるんだって、いろんな情報を入れて。でも一抹の寂しさがあるよね。
ー おそばやさんで配膳ロボット使い始めた時に、おそばを全部落としてるのを見た。使う側の人間もまだ慣れてない。
ー 自然を感じる力ってロボットはどうなんだろう?それもデータでどうにかなるのか。
ー 今日たまたまラジオを聴いていて、'葉画家'というのを名乗っているアーティスト(群馬直美さんという方)がいて、植物の葉っぱとかを作品にしている。この方が何年かかけて作った作品集に添えてる言葉があって、今AIを使えば植物のことっていくらでも調べられるから、自分が書く言葉は自分が植物を観察して気づいたことにしよう、時間もすごいかかるしこの時代に何をやっているんだろうと思ったけれど、人間にしかできないことをやりたいって思った、って言っていた。
で、ラジオ番組のインタビュアーの方が、植物をみて感動したものをアウトプットとして具現化するっていうことは、人間にしかできないと思うと言っていて、もちろんAIに情報を与えて、こういう感情の場合はこういうアウトプット、とかパターンは作れるかもしれないけど、一人として同じ人間はいない中で、感動の仕方もアウトプットの仕方もみんな違う、それってすべてがアートだしその人にしかできないこと、それはAIには代われないことだと思う。
最近身近な世代で仕事でAIを使っている人ってめちゃくちゃ多くて、いつ自分の頭使ってるのかなってちょっと反発的な気持ちもある。どういう風に自分らしさとか能力とかがあるのかって思った時に、感動する気持ちって衝動としてみんなあると思う。そういう感動からの派生の仕方はひとつとして同じものはない。この本の中の労働についても、自分がやったことに対して讃える日にしようよっていうのが、労働に対しての環境とかに物申すこともひとつだと思うけれど、自分たちがやってきたこと、庭であれば自分が創り上げた世界に対して、すごいとか、これでいいよねってお互いを認めて称えていくってことにつながるなと思った。
ー スウェーデンの学校では子供の教育でパソコンを使ってたんだけど最近それをやめて、なぜかというと学習能力が落ちたから。覚える力、書く力、観察力、全部衰えた。また辞書とノートとペンに戻ってる。
ー (自分も)漢字が出なくなってきたもんね
ー 何か知らないと調べればいいじゃんてすぐ言われるから、調べなきゃ悪いのかって思う。聞いてもお互い考えるってことはしないで、なんか調べない人が恥ずかしいみたいなふうにされちゃう。あなたの言葉で教えてくれって思う。自分の知識になってないというか、上っ面の知識としてはわかってるけど、自分の言葉で出せないのよ。だから同じような言葉、同じような言い回しになる。今のお化粧とおんなじ。若い子達がやってるお化粧を見るとみんな同じ顔に見える。美容整形でおんなじ顔してる。
ー それこそメイクもAI化する、顔のパターンを分析して。
ー お花もすぐ写真にとって検索するじゃない。そういうのってすぐ忘れちゃうけど、いただいたアッツ桜とかは覚えてる。パッと調べたのじゃなくてその場でしゃべってさ、いただいたから枯らしちゃいけないとか思って。
ー 関係性ができると忘れない
ー 一方通行じゃない記憶として枝分かれすることで、忘れても、そういえばあの時もって(思い出せる)。常に与えられていると考える力がなくなる。自分でどうにかして発信しようとする力がなくなっていく。
ー 年齢的衰えはあるとしても、使わなければどんどん衰える、記憶力とか。
ー 庭の中に行くと、自分の意思に反していろんな予期せぬことが起こる。デスクの上とは違う、容赦ない感じ。
ー 太陽が毎日違うんだとか、星の色とか、空の色とか、花もこんなに種類がわからなかったけど、佐渡に来て自然てすごいんだなって思った。
ー 野菜を売りにくる年配のおばちゃんと話してると、もう昔から野菜を作ってるから、いつごろ何を植えて、とか頭の中に全部データが入ってて、だけど今年はこういう気候だから、とか今に適応しているのを聞くとすごいなこの人の頭の中はと思う。
ー 80代のおばあちゃんとかね、昔の感覚でその通りにやっても今うまくいかないってこともわかってる。頭がコンピューターみたい。
ー その経験の引き出しと、今の気候を考えて対応した発言をする。普段からそういうことをしている人からじゃないと出てこない言葉があって、この本もそういう言葉がたくさんあるから共感することがすごく多い。
ー 藤井聡太はちっちゃいころから家に帰ってくるとAIと将棋をしてた。AIの頭。だから申し訳ないんだけど負けると嬉しいのよ(一同爆笑)。藤井くんは好きだけど。
ー そこが人間らしいよね、負ける時あるんだみたいな
ー AIに人間の能力とか技術を奪われるっていう発想よりは、自分たちの感情とか技術をもっと称えたり自信を持っていいなと思う。AIに負けちゃうとかっても思うけど、正直そんなことどうでもよくて、もっと自分が思う良いものとか感動するものに集中していっていいなと思う。人間てどうしても何かと比べちゃうから、そういうところから離れて自分だけを見つめていい。群馬直美さんも植物と自分の1対1しかない時間にすごく救われていると言っていて、たぶん庭をやっている人はそういう時間をみんな持っているんだろうなって。誰にも邪魔されない、誰とも同じじゃない時間をもう既に味わってるってことを、もっと尊いものとして捉えれば、AIがどうとかそんなに気にしなくていいっていうか。
ー だからこそ外側の情報に開かれるのかもしれない。自分が向き合っているから、周りのささいなことに気づけるような。
ここで謝らなければいけないことがあります。続きをやろうと思って録音データを開こうと思いましたところ、なんと、データを誤って消してしまったようです。ガーン。ここからが面白かったのに、なんということでしょう。結構落ち込みましたが、いま気を持ちなおしてこれを書いています。この後、昔の働き方や育休産休の話とか、なんのために働くか?など、本当にリアルな声が飛び交っていたのです。残念すぎぃ涙。また①と共通するのですが、カレル・チャペックがトルストイの労働観を公開処刑している話、山口良忠やシモーヌ・ヴェイユの話、峠三吉の興したサークル「われらの詩」のメンバーにいた唯一の農民、山上博の残した「農民」という詩をみんなで共有したりなどしました。こちら実は2回分まとめて書こうとしていたのですが...えーん。楽しみにしてくださっていた方はほんとうにすみません。
気を取り直して。わたしがこの会をとても良いなと思うのは、わたしたちが佐渡に暮らす、ごく普通の市民であり、普段はそれぞれ全然違うことをしていて、ここで話されることは全部そんなそれぞれの暮らしの中から出てくる、等身大の言葉だからです。間違っているかもしれないとか、上手い下手とかそんなのはどうでもよくて、大事なのは言葉がちゃんとその人自身から出てくることだと、いつもみなさんに思わせてもらっています。わたしは結構覚えたての難しい言葉とか言い回しを使ってみたくなったり、ドラマチックポエマーになりがちなので、言葉が自分を超えてしまうのはちょっと恥ずかしいなと思いました。気をつけたい。
そいういう意味で、すこし前に「杜人」の矢野さんが佐渡にいらしていて、話を聞きに行ってきたのですが、矢野さんから発せられる言葉はすごかった。シンプルだけど誰にでも解る言葉で、深いところにまでいきなりずどんと届けられる感じだった。それはやっぱり生きた現場の言葉だからだと思う。うんざりするくらい壊れた環境を直視し続けて、雨の日も風の日も、途方も無い時間を泥だらけになって過ごして、背負い続けているものが宿っていた。となりで聞いていたMさんは、ずっと泣いていた。それはMさんの中にも共鳴する部分があったからだと思うと、尊くて、となりでグッときていた。矢野さんはご自身の活動が注目される現状を「無言の現場を表沙汰にする」というような言い方をされていた。昔、無言の内にみんなが持っていた知恵、自然にやっていたことは、特段語られる必要はなかった。それが現代、表に引っ張り出される状況になってしまったということが、これ以上説明がいらないくらいに、環境に対する我々の無知さと、してきてしまったことを物語る。
最後に、参加してくださったYさんが、数日後に会った時に伝えてくれたことを書いて終わりにします。
「カオスを受け入れるのが人間」
読んでいただきたありがとうございました。アンネムについてはinstagramで情報発信しています。引き続き、よろしくお願いいたします!


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