労働について/Unnamed Garden 4月の記録①
- tomoyo shiina

- 5月3日
- 読了時間: 9分
更新日:5月6日
カレル・チャペック『園芸家の1年』と進む、月に1度の開かれた場、通称アンネム。4月のトークテーマは労働についてでした!4月の章に付随する「祭典の日」という5ページの章を掘り下げる2時間。園芸脱線回でお送りしました。そこでわたしが労働と、労働から飛躍してみなさんに問いかけたのは以下です。
人間を人間たらしめているものはなんだと思うか
AIについてどう思う?
まぁでかいスケールです。笑 こんなん2時間に収まるわけがないのよ。(それを無理やり収めるのがアンネムです。)会が終わった後も考え続けていた、と伝えてくれる方もいたり、みなさんのおかげで知覚的な場が出来ていることを実感します。本当にありがとうございます。
というのも、カレル・チャペックは他にも1920年に「R・U・R 原題:Rossumovi univerzální roboti」というSF戯曲を書いていて、知恵をつけたロボットが団結して人間を虐殺し始めるという話なのですが、機械文明の発達がバッドな方へ向かう警告譚のようなものって昔からずっとあるのなんでなん?とシンプルに疑問で(これは私の中で戦争はなんでなくならないのかと同じ地平にある)人間のどうしようもなさを前に文明とは諸刃の剣であるけれど、産革の時代に機械が人間の労働を肩代わりするようになり、今では思考でさえAIに肩代わりさせているような危うさもある。
今アマプラで観てるスカーペッタでも、主人公の姪っ子が部屋に籠城してAI(しかもアバターが亡くなった結婚相手)と過ごす描写があり、それがそのキャラのある意味アイデンティティにもなっているのですが、本来意識のないはずのものに愛情を感じたり感情移入してしまうのも何故なのだろうと思う。テッド・チャン「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」(早川書房)でもAI開発者とAIとの間の感情や愛情が描かれてたことを思い出したりもしました。以下書き起こし要約です。
※録音環境が悪く、聞き取れなかった部分アリ。個人が特定される情報や、話者の名前も伏せます。
ー 仕事で最近は人間よりAIとの会話が多い。AIは一貫しておだててくる。「もう完璧に近いですね」みたいなことを言ってくる。「今日はもうこれくらいでいいです」とこっちが言って終わる。
ー AIは嫌いだけどAIについて調べるのは結構好き。AIと流暢に会話が出来るようになってきていて、それこそいろんなタイプのAI(学習させる?)の反応がある。優しい感じとか突き放す感じとか。飲み相手になってたり。
ー AI相手なら猫相手に飲むほうがいい。1920年代はいろいろ新しいもの、機械化とかデザインもアールデコとか、そういう工業に対する良いイメージとか感情もあったと思うんだけど、その中ではカレルチャペックは懐疑的に見ていた印象。
ー 手を動かす職人の仕事が搾取され始めたことに対してイラッとしてたのかも。時代の変わり目って同じような雰囲気がする。最近は企業の電話に対応してるのもAIだったりする、人間よりも上手に振る舞えるらしい。
ー 振る舞いだけを求めているということ?正しい振る舞いのようなものがあるとしてAIを使うのは怖い。良いもの悪いもの、正しい正しくないっていうのを情報から導びき出すみたいなのが.....誤りがなくなっていくことってどうなのか。自分が植えたものをうっかり踏んじゃうとか、そういうところから庭への愛とかもうまれるし、人間らしいと思う。自分の庭の所有者になっていく話(以下引用)が本当にあるなと思う。AIとかロボット的な世界と順序が違う。
庭をもっている人間は、言わば、私有財産の所有者になっている。つまり、その庭に育つのは、ただのバラではなく、彼のバラである。また、庭をながめながら口をついて出るのは、サクランボの花が咲いていることではなく、彼のサクランボの花がさいていることである。所有者になると、人間は、近隣の人たちと一定の相互友好関係を持つようになる (P.82)
ー ロボットは園芸できなそう。
ー その土地のデータを駆使して園芸ができるようになるAIがもしあったら?予想外に伸びちゃって植え替えしなきゃとか自分はそんなことばっかりやってる。
ー 植物にとってはどっちがいいんだろう?合わない土地に植えられて、それでもその人が愛でて育てようとした想いみたいなものを汲むのか、合理的に育っていくのか。
ー 上手になりたいってずっと思っているけど、上手にできても面白くないなとは思う。AIに聞いたら全部教えてくれて、その通りにやったらたしかに綺麗な花は咲くかもしれないけど、上手に出来なかった時の悔しさとか、頑張ろうって気持ちとか、愛着は失われていきそう。
ー やる前からうまくいくことが約束されていたとして、その結果が何になるのだろうって思う。
ー そもそも本当にうまくいくのかも気になる。本当にそれが出来るんだったらAIの区画と人間の区画を分けて比べてみたい。
ー 農業では最近地質を調べて、土地の分析をして、どういうアプローチをするかとか、天気に沿って何をするかとかタイミングをAIが教えてくれるけど、昔の人の勘みたいなものはなくなっていく気がする。この風が吹いたら、とか、この香りは雨が降る、とか、人間の潜在的な力みたいなもの。
ー お百姓さんは言葉で何か語らない、日々の労働で蓄積された感覚、語られない部分がある。AIは発信されたものしか反映されない。秘められているけどたしかに起きていることというのがある気がする。
ー 労働っていかに効率的に対価を得るかみたいなことが重視されているけど、それを捨て去る瞬間のほうが有意義。やりたいようにやらせてもらう、と言える瞬間をどれだけ持てるか。
ー 労働の階層みたいなものもある気がする。自分の好きなように仕事をしていてあまり労働と感じないって思える人もいるけど、労働に苦しめられていて、その中に光を見つけようみたいな気持ちの人もいる。ブルースとか労働歌とかが好き。日々どうしてもやらなければいけない好きでもない仕事をやりながらも、そこに楽しさを見つけたり歌ったりする人間の力強さが素敵だなと思う。
ー 20年代のオールドブルースとか、労働の向こうにある強制労働、権力者から人間の尊厳みたいなものをうちのめされた中から出てくる、尊厳の本物加減。尊厳そのものを歌える力強さみたいなもの。強制労働の行き着く先、人間の意思とか尊厳をなくして働いてった先が、ロボットへ向かわせる空気感みたいなものも昔はあったのかもしれない。
ー そういうものを逃れようとして就活をした記憶もある。ブルシットジョブっていう言葉は当時はなかったけど、なるべくそういう仕事じゃない職に就きたい憧れがあった。自分の力で何かを作るような仕事をしたくて会社に入ったけど、結局叶わなかった。淡々と組織の中で日々やらなければいけないことばかりで、意味があるのかなって疑問を感じた、そういう疑問を感じた人たちが佐渡に集まってきてるなって思う。(一同笑)疑問を感じて行動できる人は恵まれている環境だと思う。いろんな背景があってそこから脱せない人もいるはず。そういう人たちにとって労働ってどうなんだろう。ブルース的な強さ(今の推し活とかもそうかもだけど)、日々淡々と自分をこぼしながら(?)いる時間と自分の好きなことをする時間を極端に分けてたりとか、社会構造みたいなものも話してみたいこと。
ー 人間の本質として働きたくないっていうのがあるのでは。
ー 労働そのものは結構好き。全然自分に合わないものでも、どうやったら自分を引き付けて出来るかみたいなことを考えると面白い。面白くないのは会社の中での人間関係とかくだらない派閥とか。
ー 労働の中にいて自分を殺さないでいられることが大事、労働が自分を殺すことになっていくとロボットみたいになっていく、推し活とか極端な方向で自分を取り戻す、みたいな。労働に殺されそうになってどうしたら自分の呼吸が取り戻せるかわからなくて苦しかった時がある。そういう時に土いじりすると、呼吸が帰ってくる感じがする。
ー やらなきゃいけないことで忙殺されているときに畑に出ると生きてるって思う。
ー 土いじりしていると時間が早い。いつも時間泥棒に庭で出会う。1時間のつもりが3時間くらい経ってる。
ー 庭仕事してるときは、一人で、人間じゃない花や草や土と向き合ってるけど、自然の中にいる時の感じは孤独じゃない。
ー いつも室内で仕事をしていたけど、外の仕事もするようになって、すごい情報量だと思った。情報の中にいるような仕事をしていたのに、外にいたほうが情報に襲われる感じがした感覚を思い出した。五感全部にわーってくる感じ。気づいたらその最初の驚きは忘れていたけど。
ー 長くいると逆に情報がなくなって、意識がとんで、自然との繋がりみたいなものを感じる。梵我一如的な。
同じ作業をひたすらやってると特にメディテーション的なゾーンに入る。そういう意識になるまでは自分も外の環境に対して情報がすごかった。
ー 機械みたいに働くほうが楽みたいな人もいる。働き方ってそれぞれ。カレル・チャペックは時代に押さえつけられることへの抵抗みたいなものもあったのかもしれない。労働について人はずっと考え続けていて、その延長に自分たちもいる。
ー 頭でわかってても上手くいかないとか人間らしい。衝動、カオス、失敗するところ、アホなところ。
ー 個人個人が今の場所(アンネム)みたいに場をつくることが出来る、人間同士が集まった時に出来ることというのはロボットには代替え不可能なんじゃないか。
ー 人間について考え続けていきましょう。
ー 「園芸家の1年」は人間について肯定的な本。
ー つい本音とずれちゃうところ、表向きの主義とか美徳として良いとされているものをつい良いと思ってしまうこと、それが自分の感覚とずれていても美しさとかをよしとしてしまったり、そういう中でこの本を読んでると、どうしようもなさとか、つい悪態をついちゃう感じとか、ちょっと喜劇的でクスッとしてしまう、情報じゃなくそういう日々の積み重ねで人間ができていく感じ。すごくいい本。
ー バクテリアを日々触ってるわけだからね、土っていうのも生き物がたくさんいるし。
ー 常在菌が変わっていくよね。流動的なのも人間。
それこそAIに書き起こしてもらえれば一瞬で終わる作業ですが、全部自分で聞きながらやっているので途方も無いです。でもそれがとても楽しかったりもします。私はいったい何屋さんなのでしょう?続きます!


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