先日チラリとblogに書いた、アンディアンドウィリアムスボタニックガーデンを訪ねることができました。


冬空の下で最後の輝きを魅せる、バラや宿根草ももちろん綺麗でしたが、

圧倒的に印象に残ったのは、自然樹形で悠々と枝を広げる、樹木の美しさでした。




Populus alba ギンドロの樹もありました。

宮沢賢治が大好きだったという樹。

またの名をウラジロハコヤナギ、葉が積もると、一面真っ白に雪が降ったようになるんだそうな。

少しの風で葉が擦れ合って、まるで樹が話しているんじゃないかというくらい、ざわざわと囁くような音がする、というイーハトーブを象徴するような樹。

(宮沢賢治が愛した木は、ドロノキPopulus suaveolen であって、ギンドロは外来だから違う、という説もあるのですが。)

物語の中に存在しているような佇まいの、美しい樹。

本来寒冷地の樹木なので、関東でこんなに大きく育つんだ〜・・と驚きました。

造成当時の写真の中の樹木はまだ小さく、庭の中にまばらに点在しているような感じでした。

時を経た美しさや強さ、というものを樹木は教えてくれますね。


詩人の山尾三省という方が、人生の中で一本の木を見つけると、生きるのがずいぶん楽になるよということを言っています。山尾三省さんは、屋久島を終の住処とし、在野であった宮沢賢治のような人なんですが、

縄文杉を聖老人と呼び、常にそのイメージを心の中に持ち続けていました。

嬉しい時は木に報告すればいい、辛い時は木が助けてくれる。

どこにいても1本のカミの木を心の中にイメージすることが出来ると、心に豊かさを取り戻すことが出来る。それはパーソナルな宗教である、と。


異国にいても、カリブーの群れを、ツンドラを、アラスカに思いを馳せていた星野道夫もそう。

「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、

もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。

日々の暮らしの中で片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。」


傷ついたインディアンは、松の木にもたれて治癒の時を過ごすそうです。

自分の生きる時間とは違う、悠久の時間を刻んでいる者の存在そのものが、

私たちを慰め、温めてくれるんだな、ということを日々忘れずに感謝したい。

この樹木たちも、どうか静かにこの場所にあり続けていて欲しいなと願うのでした。