- tomoyo shiina
ドゥブロブニクのSobe
昔の写真フォルダを見返していて、ドゥブロブニクを一人旅してた時のことを思い出していました。
アドリア海の真珠と呼ばれるクロアチアのドゥブロブニク。
とても美しい場所には悲しい歴史の爪痕があるわけで、旧ユーゴスラビアからの独立宣言後、
旧ユーゴとセルビアとの間で三巴の激しい内戦を繰り広げた歴史があります。
散歩しながら旧市街とアドリア海をぐるりと見渡せる、城壁ウォークという人気のアクティビティがあるのですが、美しいテラコッタ色の瓦がとても新しいのをお分かりいただけるでしょうか。

なぜなら、その際の爆撃で8割の建物が破壊されてしまったから。
ところどころに見える古い瓦は、戦火を免れた唯一の場所だそうです。
市民の必死の復興によって、一度危機遺産リストに入れられたこの街は再び世界遺産に返り咲く。
大昔のことではなく、90年代の話。
私は世界遺産の定義を詳しく知らないけれど、里山を含めた街並の美しさや、人や文化、たくさんのミクロな視点を内包しているんだろうと思います。
(だから、世界遺産認定を頼りにしているようじゃだめなのよ。)
そんな時代の中で生まれたSobe(ソべ)というものは、いわゆる民泊。
そう、クロアチアは民泊のパイオニアでもあるのです。
ホテルが壊滅的になってしまった状況で、うちに泊まって!とおばさまたちが自宅を開放し始めたことが始まりだそう。
一度破壊されてしまったヨーロッパのリゾート地としての受け皿が蘇り始めたのは、そんなおばちゃん達が、愛すべき生きる場所の為に立ち上がったから。

宿は現地で、がデフォルトだった当時の私は、Sobeという存在があると知って、ちょっとドキドキしながら旧市街の門の前でバスを降りた記憶があります。
降りた途端に客引きのおばさまたちにとり囲まれる。(三密どころではない)
こちらも選ぶ権利があるけれど、あちらも客を選んでいる緊張感。目配せ、息遣い。
もう宿をとっているであろう人たちは、おばさまたちをスルーして払いのけ、旧市街の門をくぐっていく。
その時お世話になったSobeは、旧市街のど真ん中、飲み屋の上で、夜中まで人が騒いでいて全然眠れなかった。
シャワーの水圧がめちゃめちゃで、でもついてるだけマシか、と思ったこと。
食事は付いていないはずなのに、出かける時に、何か食べていきなさいと
おばあちゃんがキッチンの奥からスープとチキンと、パサパサのパンをご馳走してくれたこと。
同じような路地とドアが多くて帰るのに迷いまくったこと。
Sobeの前の狭い路地に張りめぐらされたロープにひしめく洗濯物や
至る所で頭上に溢れるように咲いていたブーゲンビリア。
何年も経った今、記憶に残っているのは、そんなことばかり。

今はSobeもインターネットで予約できるようになり、ホテル並みのSobeもあるようです。
政府が管理し、ランク付けをしていて、行くまでどんな場所なのか分からないスリルはなくなったのかもしれない。
ダンボールを持った客引きのおばちゃんおじちゃんとの駆け引きも、もう時代遅れなのかもしれないなぁ。



今どうなっているんだろう。