「Andy&Williams garden will close!! 」

前のBossから届いた1通の衝撃的なLINEから始まった朝。

アンディアンドウィリアムスボタニックガーデンは、群馬県太田市にあるジョイフル本田に併設されている、国内では数少ない本格的なイングリッシュガーデン。ホームセンターであるが故、訪れる人の庭づくりの力になれるようにという明確な目的を持ち、造られたそうです。

https://www.joyfulhonda.com/aw/


いつか行こうと思っている間に、閉園のニュースとは・・・なんとも悲しい。

前にもあったな、そうだ、ハドスペン・ガーデン(昔の方の)に行きたいと思った時も、クローズしていたんだった。

ピナ・バウシュの踊りも、この目で実際に見てみたかったよなぁ。

あそこの寿司屋、行っとくべきだったなぁ・・・

などなど連鎖的に思い出すあれこれ。

行きたいところや会いたい人の為には時間を作って行動しないと、永遠に存在するということはないんだなぁ。


話は戻って、ジョイフル本田は新潟でいうところのコメリのような存在で(北関東の人はジョイ本て呼びませんか?)園芸コーナーがとても充実しているので、私も茨城に帰省すると、つい足がむいてしまう。

一企業がこれだけのガーデンを造り、長きに渡り維持管理をしてきたのはとてもすごいこと。

閉園後はどうなってしまうのか、気にかかるところ。



(写真は全然関係のない別の場所です)


庭は造られた時が始まりで、変化していく生き物。

手を入れることで、たくさんのものを返してくれる。

雇用を生みもするし、人の暮らしを支え、循環の場でもある。

数十年前のイングリッシュガーデンブームで、日本にもたくさん造られたと聞いているけれど、

果たして令和の時代にうまくアップデートされ、循環し続けている場所はどのぐらいあるのだろう。


英国の庭園の深みは、何百年というスパンで守り守られ、時代と共に歩んできた大御所的庭の存在と、新しく創出してくるエネルギーが支えている。

地元民に愛され誇りとされる、美しい場所がいくつも存在しあって文化的な財産になる。

そして残っていくものには必ず、美しいだけではなく心を動かす物語が存在している気がする。


国内の私の知る数少ない庭園で、今パッと物語が思い浮かぶのは、大きいところだと北海道の十勝千年の森かなぁ。


”新聞は大量の紙を使う。環境破壊を毎日繰り返している仕事だ。植樹をして、森を造っていけば、カーボン(二酸化炭素)をオフセット(相殺)できる」-という志を立てたのは1987年ごろだった。”

(十勝千年の森 HPより)


十勝毎日新聞社が財を投じ、1000年先の未来への財産になるような森を造る、という使命感にも似た目的を持ってスタートしたプロジェクト。森、というネーミングが良い。


北海道という土地はその他にも魅力的なガーデンが多数存在し、繋がりあって、北ならではの庭園文化を創出している。

ガーデニングをする人で北海道を目指す人が多いのも納得できる。

羨ましい限りにその哲学が浸透している。


かつて権力や財力の象徴でもあった庭園という存在は、これからは所有という概念を超えて、

自然との境界も限りなく曖昧になっていくのかもしれないなぁ・・

なんてことを個人的に想像(妄想?)しています。

佐渡という庭園文化未開の地を選んだ私は、これから小さな物語を始めていかなければいけない。

庭のその先へ続く物語。



(なんか大げさなタイトルですが、至極普通な内容です。)


Siltはよくあ〜お花屋さんね〜なんて言われることも多いのですが、その度に、違うんだけどなぁ、と悶々とした気持ちになります。

でも私もこの世界にいなかったら、園芸店と花屋さんて何が違うの・・?と思っているかもな、ということで

花の世界と園芸の世界は重なり合いつつ少し違うんだよ、ということをなんとなく書きたくなりました。

そしてそれはいのちという見方をすると見えてくる。



少し前に、山形ビエンナーレのオンライン開催をぽつらぽつらと見ていて、

「いのちの学校」というプログラムの中で、花道家の上野雄次さんがこんなようなことを言っていました。(ちょっと私の方で脚色があったらごめんなさい)


花を手折る時、その時点からその花は死へと向かっている。

花が咲いて、生殖をして、次の世代を残すという最大の盛りの美しい時に、

人間の都合で花のいのちを奪うわけだから、そのいのちを作品という形で昇華しなければいけないよね。

花を扱うというのはある意味痛みを伴うことだ、と。


それを聞いて、ひれ伏した私。

華道に”道”という言葉が使われるのは、花をたよりに、人の道を知ることでもあるからなんだなと思う。

花を扱う方が背負っているものに比べたら、園芸の世界はずいぶんと平和かもしれない。

園芸家は基本いのちあるものしか扱わないからだ。

植物の歩むスピードに寄り添い、人間の寿命など遥かに超えて生きていくものに、希望を見出す仕事。


”一般的には植物を育て楽しむこと。

本来なら『園藝』と書き、生きた植物を絶対的素材とする芸術(美的文化)の一つである”

(ウィキ先生より)


もちろん生きたものを扱う以上、死と直面することはあっても、

タネをまき、挿し木をし、交配をしたり、庭というキャンバスに植物で絵を描きながら、

背後に死を意識するということは、あまりない。


ただ上野さんはこんなことも言っていた。

花なんていけなくても人は生きていけるけれど、何ゆえ花をいけるのか。

それは現実の煩わしさと対峙する中で、イメージの中に逃げ込むことで、心が休まり、また現実世界に戻れる、その繰り返しで我々のいのちが支えられているから。

花は、そういうイメージトリップのスイッチを押すのに重要なアイテムだと。


ふむふむ。

これ関しては、私も園芸に対して常々そんなことを思っているので、共通するなぁと思う。

ガーデンセラピーとかそういう分かりやすい名前のついたものではなくて、私も随分と庭に逃げ込んで、救ってもらった。

大げさでなく園芸が人を救う瞬間を見てきた。

なんでこんなことを今書いているかというと、ここ最近の世の流れというか、いのちのあり方のようなものに対して、得体の知れない危機感があるからだ。

そしてそんな危機感と共に生きてかなくてはいけない中で、今園芸を生業にしている意味がなんかあるんじゃないかとか結構マジに考えている。


ところで、佐渡にはガシマシネマさんという映画館があります。

http://gashimacinema.info

ガシマシネマの堀田さんが、不登校の子大歓迎〜とよくおっしゃっているのが私はとても印象に残っている。私が子供の頃に、そんなことを言ってくれる大人がいて、そんな場所があったらとても救われたろうと思う。(あ、学校は嫌いでしたが別に不登校だったわけではないです。)映画が心を浄化して、奮い立たせてくれたことが、一体どれだけあっただろうか。


花も園芸も映画の世界も、お腹は満たされないけれど、精神世界を満たしてくれるとても大切なもの。

ワインだってそうだ。

今Siltは小売店だから、一見とても物質的ではあるかもしれないけれど、誰かの精神の逃げ込める場所として存在できたら、救えるいのちがあるかもしれない。

毎日店の前を通る子供たちを見て、大人として何を教えてあげられるんだろうと考えるし、同じような方向を向いている方と、職業のジャンルを超えて繋がっていけたらいいなぁと思っている。


昔の写真フォルダを見返していて、ドゥブロブニクを一人旅してた時のことを思い出していました。


アドリア海の真珠と呼ばれるクロアチアのドゥブロブニク。

とても美しい場所には悲しい歴史の爪痕があるわけで、旧ユーゴスラビアからの独立宣言後、

旧ユーゴとセルビアとの間で三巴の激しい内戦を繰り広げた歴史があります。


散歩しながら旧市街とアドリア海をぐるりと見渡せる、城壁ウォークという人気のアクティビティがあるのですが、美しいテラコッタ色の瓦がとても新しいのをお分かりいただけるでしょうか。

なぜなら、その際の爆撃で8割の建物が破壊されてしまったから。

ところどころに見える古い瓦は、戦火を免れた唯一の場所だそうです。

市民の必死の復興によって、一度危機遺産リストに入れられたこの街は再び世界遺産に返り咲く。

大昔のことではなく、90年代の話。


私は世界遺産の定義を詳しく知らないけれど、里山を含めた街並の美しさや、人や文化、たくさんのミクロな視点を内包しているんだろうと思います。

(だから、世界遺産認定を頼りにしているようじゃだめなのよ。)


そんな時代の中で生まれたSobe(ソべ)というものは、いわゆる民泊。

そう、クロアチアは民泊のパイオニアでもあるのです。

ホテルが壊滅的になってしまった状況で、うちに泊まって!とおばさまたちが自宅を開放し始めたことが始まりだそう。

一度破壊されてしまったヨーロッパのリゾート地としての受け皿が蘇り始めたのは、そんなおばちゃん達が、愛すべき生きる場所の為に立ち上がったから。


宿は現地で、がデフォルトだった当時の私は、Sobeという存在があると知って、ちょっとドキドキしながら旧市街の門の前でバスを降りた記憶があります。

降りた途端に客引きのおばさまたちにとり囲まれる。(三密どころではない)

こちらも選ぶ権利があるけれど、あちらも客を選んでいる緊張感。目配せ、息遣い。

もう宿をとっているであろう人たちは、おばさまたちをスルーして払いのけ、旧市街の門をくぐっていく。


その時お世話になったSobeは、旧市街のど真ん中、飲み屋の上で、夜中まで人が騒いでいて全然眠れなかった。

シャワーの水圧がめちゃめちゃで、でもついてるだけマシか、と思ったこと。

食事は付いていないはずなのに、出かける時に、何か食べていきなさいと

おばあちゃんがキッチンの奥からスープとチキンと、パサパサのパンをご馳走してくれたこと。

同じような路地とドアが多くて帰るのに迷いまくったこと。

Sobeの前の狭い路地に張りめぐらされたロープにひしめく洗濯物や

至る所で頭上に溢れるように咲いていたブーゲンビリア。


何年も経った今、記憶に残っているのは、そんなことばかり。



今はSobeもインターネットで予約できるようになり、ホテル並みのSobeもあるようです。

政府が管理し、ランク付けをしていて、行くまでどんな場所なのか分からないスリルはなくなったのかもしれない。

ダンボールを持った客引きのおばちゃんおじちゃんとの駆け引きも、もう時代遅れなのかもしれないなぁ。




今どうなっているんだろう。