• tomoyo shiina

花粉症に苦しめられている皆様には辛い季節がやってきましたねー。

私も春先、GWくらいまでかけてじわじわとアレルギー症状に苦しめられていて、

前年は軽い断食とアルコール断ち、食事療法で乗り切りました。

今年もそろそろそんな時期にさしかかってきましたので、 

同じようにアレルギー症状に苦しめられている方に、こんなことを地道にしている人がここにおるよーということが救いになればと書いています。

ただ私の自論であります故、軽い気持ちで読んでいただけたら幸いです。





飲食業の長かった私は、若さ故の己の肉体への過信と、

業界特有の不規則な生活がなんかかっこいい俺、というナルシシズムな荒れた生活で、20代半ばに身体を壊しました。それはもうあっさりと。

薬でなんとか保っていたものの、私が欲しいのは薬じゃないんだよ、根本的な原因は何なの!(その生活習慣だよ)誰か教えてくれよ!と荒れ狂い、

でも誰も教えてくれるわけはないのでおとなしく一人で調べ始め、食生活から改めようと

マクロビオティックに辿り着き、有用植物やアロマに傾倒し、熱心に実践していた時期があります。

今じゃすっかり全部やめてしまったけれど、良くなったり悪くなったりを繰り返す自分の体調とひたすら地道に向き合った期間というのは、長く無視し続けていた自分の身体からこっぴどく叱られた時であったのだなと自覚しております。

不調になるとその時身についた引き出しを開ける時があるので、なんでも勉強しておくのは大切ですね。


マクロビでまず教えられるのは身土不二という言葉。

簡単にいうと、その土地で採れたものを食ったらいいよということ。

身体と土地は密接に関係しているからね。と。

そういう意味では、海のものも山のものもフルーツも、手に届くまでに長い距離を移動していなくて、豊富に選択肢のある佐渡って、素晴らしきお薬箱。

身近な例でいうと、日本人が春に山菜や筍などを食べる理由は、冬の間に溜め込んだものをアクの強いものの力を借りて解毒する、ということを自然にやっているからなのです。

和食や伝統食の素晴らしさに開眼したのはその時期です。


東京にいる時は季節感も分かりづらくて、その当時寿司屋にいたのはちょっと救いでした。

旬以外に、和食には走り、名残という粋な言葉があることに感動したり。

身体に良いもの=とりあえず自然食品だ!と思った私は意気揚々と自然食品店へ向かうものの、なんでこんなに高いんだよ、セレブの暮らしかよと憤慨。

もうお分かりですね、昔は今より性格もずっと荒れておりました。

全てをオーガニックや無農薬に変えたりするのは、都市で安月給で暮らす身にはお金がかかりすぎる。

そこで調味料だけは高くてもいいものを使う、という策に変更。(遠い目)


ちなみに個人的に体調が悪かった時に食べ続けていたベスト3は、豆類、海藻、切り干し大根。

あとマクロビには甘い野菜のスープというレシピがあるんですが、

これは弱っている体には最強です。ご興味ある方はお調べください。


さて、過去をほじくり返すのはこのくらいにして、私が何をこの時期しているか。

ざっくりというとマクロビでは食材を陰陽でまず見ていくんですが、

私の愛するアルコールは極陰に属します。

(ヴァンナチュールは中庸に近いソフトな陰な気がするけど、ここでは大きくアルコールというで括ります)

陰というのは拡散、発散のエネルギー。


砂糖やコーヒー、フルーツなどもそう、

暑い季節や、身体が緊張している時、ストレスを発散したい時にはいいけど、

摂りすぎると、ふわふわとして地に足がついていない感じになって風邪ひいたりします。

アレルギー症状も助長するような気がします。


暑い国の人がスパイス(陰)カレー食べたりエスキモーが肉(陽)食べるのもそんな理由で

気候とのバランスをとっているからなのです。みんな太陽系惑星の子。


そこで、植物の芽が伸び、上へ上へと成長していく拡散のエネルギーが空気に満ちているこの放出の時期、私はこれら極陰のものをなるべく断ちます。

待ってろよ夏、アイス食いまくってやるからなという感じで。


※極端なものには極端なものでバランスを取るという力技な方法もあります。

例えば韓国の人は焼肉にキムチ食べて焼酎飲みますよね、これは反対の性質のもの同士でバランスをとっている例です。ナス(陰)の揚げ浸しに生姜(陽)が乗っているのもそんな理由があるわけです。


注意)陰陽は調理法にも存在するので、厳密に言うと食材だけで判断するものでもないです



そして、これはマクロビ関係ないですが、グルテンと肉も断ちます。

(ですので、この時期私を焼肉に誘わないでください。春はご飯とお味噌汁とお漬物で生きている草食期だと認識していただければ幸いです。)


私はもともと胃腸があまり強くないので、実験をし、色々なものを調べ漁った結果、

未消化のタンパク質やグルテンは腸壁を傷つけ、血液中に有害物質をダダ漏れさせそれがアレルギー症状を引き起こすという説がかなりしっくりくるぞという結論にたどり着きました。

→小麦製品と肉は私の場合、体調悪い時あんま食べない方が良いぞ、と。

プラス、24時間のうち16時間は何も食べない軽い断食を、調子が良くなるまで続けます。


こんな感じで粗食で、早寝早起き、適度な運動(庭仕事など)をできるだけして過ごすわけです。

サボってやらない時もありますし、結構ゆるいです。

原因不明の体調不良は、摂りすぎている何かや偏りすぎている何かが原因だったりしますので、日々のことを振り返るのは大切。


ただこれだけは言いたいのですが、手段が目的になってしまうと本末転倒。

人は食うことを目的に生きているのではありません。生きるために食べるわけです。

というのも、一緒にマクロビを学んでいた普通(療養中とかでなく)の人たちの中には、先へ行けば行くほどマクロビ自体が目的になってしまっている偏った方がたくさんいました。例えばこれは食べていいけどこれはダメ、という食材カテゴライズ病に陥っている方。

自分だけならいいけど、それを家族や周りの人に強要するようになると重症。

口にするものを善か悪かで判断し、食べないと決めたものを誘惑に負けて食べてしまった自分へ罪悪感を持ち、

好きなものを好きなように食べる人を見下し軽蔑する人、等。

食べることにそこまで執着し神経をすり減らすのって違くないか。。。


私はそこでドロップアウト。独自で気楽な道へ行きました。

もちろん、不調の時に何かにすがりたい気持ちは痛いほど分かるし、家族の健康を考えることは素晴らしいことです。

しかし。

そうまでして食べることは幸せなの?

みんは偏りではなく調和を学んでるんじゃなかったっけ?


話が逸れましたが、最後に言いたかったのは何事もバランスよくが精神衛生上も健康だよねということです。

(どんな結論だ)

私もいつかこんなことをせずとも、自然に暮らしながら春が乗り切れるようになると良いです。

特に女性は年齢とともに身体も変わっていくので、体調には気をつけましょうね。

  • tomoyo shiina

先日チラリとblogに書いた、アンディアンドウィリアムスボタニックガーデンを訪ねることができました。


冬空の下で最後の輝きを魅せる、バラや宿根草ももちろん綺麗でしたが、

圧倒的に印象に残ったのは、自然樹形で悠々と枝を広げる、樹木の美しさでした。




Populus alba ギンドロの樹もありました。

宮沢賢治が大好きだったという樹。

またの名をウラジロハコヤナギ、葉が積もると、一面真っ白に雪が降ったようになるんだそうな。

少しの風で葉が擦れ合って、まるで樹が話しているんじゃないかというくらい、ざわざわと囁くような音がする、というイーハトーブを象徴するような樹。

(宮沢賢治が愛した木は、ドロノキPopulus suaveolen であって、ギンドロは外来だから違う、という説もあるのですが。)

物語の中に存在しているような佇まいの、美しい樹。

本来寒冷地の樹木なので、関東でこんなに大きく育つんだ〜・・と驚きました。

造成当時の写真の中の樹木はまだ小さく、庭の中にまばらに点在しているような感じでした。

時を経た美しさや強さ、というものを樹木は教えてくれますね。


詩人の山尾三省という方が、人生の中で一本の木を見つけると、生きるのがずいぶん楽になるよということを言っています。山尾三省さんは、屋久島を終の住処とし、在野であった宮沢賢治のような人なんですが、

縄文杉を聖老人と呼び、常にそのイメージを心の中に持ち続けていました。

嬉しい時は木に報告すればいい、辛い時は木が助けてくれる。

どこにいても1本のカミの木を心の中にイメージすることが出来ると、心に豊かさを取り戻すことが出来る。それはパーソナルな宗教である、と。


異国にいても、カリブーの群れを、ツンドラを、アラスカに思いを馳せていた星野道夫もそう。

「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、

もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。

日々の暮らしの中で片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。」


傷ついたインディアンは、松の木にもたれて治癒の時を過ごすそうです。

自分の生きる時間とは違う、悠久の時間を刻んでいる者の存在そのものが、

私たちを慰め、温めてくれるんだな、ということを日々忘れずに感謝したい。

この樹木たちも、どうか静かにこの場所にあり続けていて欲しいなと願うのでした。






  • tomoyo shiina

「Andy&Williams garden will close!! 」

前のBossから届いた1通の衝撃的なLINEから始まった朝。

アンディアンドウィリアムスボタニックガーデンは、群馬県太田市にあるジョイフル本田に併設されている、国内では数少ない本格的なイングリッシュガーデン。ホームセンターであるが故、訪れる人の庭づくりの力になれるようにという明確な目的を持ち、造られたそうです。

https://www.joyfulhonda.com/aw/


いつか行こうと思っている間に、閉園のニュースとは・・・なんとも悲しい。

前にもあったな、そうだ、ハドスペン・ガーデン(昔の方の)に行きたいと思った時も、クローズしていたんだった。

ピナ・バウシュの踊りも、この目で実際に見てみたかったよなぁ。

あそこの寿司屋、行っとくべきだったなぁ・・・

などなど連鎖的に思い出すあれこれ。

行きたいところや会いたい人の為には時間を作って行動しないと、永遠に存在するということはないんだなぁ。


話は戻って、ジョイフル本田は新潟でいうところのコメリのような存在で(北関東の人はジョイ本て呼びませんか?)園芸コーナーがとても充実しているので、私も茨城に帰省すると、つい足がむいてしまう。

一企業がこれだけのガーデンを造り、長きに渡り維持管理をしてきたのはとてもすごいこと。

閉園後はどうなってしまうのか、気にかかるところ。



(写真は全然関係のない別の場所です)


庭は造られた時が始まりで、変化していく生き物。

手を入れることで、たくさんのものを返してくれる。

雇用を生みもするし、人の暮らしを支え、循環の場でもある。

数十年前のイングリッシュガーデンブームで、日本にもたくさん造られたと聞いているけれど、

果たして令和の時代にうまくアップデートされ、循環し続けている場所はどのぐらいあるのだろう。


英国の庭園の深みは、何百年というスパンで守り守られ、時代と共に歩んできた大御所的庭の存在と、新しく創出してくるエネルギーが支えている。

地元民に愛され誇りとされる、美しい場所がいくつも存在しあって文化的な財産になる。

そして残っていくものには必ず、美しいだけではなく心を動かす物語が存在している気がする。


国内の私の知る数少ない庭園で、今パッと物語が思い浮かぶのは、大きいところだと北海道の十勝千年の森かなぁ。


”新聞は大量の紙を使う。環境破壊を毎日繰り返している仕事だ。植樹をして、森を造っていけば、カーボン(二酸化炭素)をオフセット(相殺)できる」-という志を立てたのは1987年ごろだった。”

(十勝千年の森 HPより)


十勝毎日新聞社が財を投じ、1000年先の未来への財産になるような森を造る、という使命感にも似た目的を持ってスタートしたプロジェクト。森、というネーミングが良い。


北海道という土地はその他にも魅力的なガーデンが多数存在し、繋がりあって、北ならではの庭園文化を創出している。

ガーデニングをする人で北海道を目指す人が多いのも納得できる。

羨ましい限りにその哲学が浸透している。


かつて権力や財力の象徴でもあった庭園という存在は、これからは所有という概念を超えて、

自然との境界も限りなく曖昧になっていくのかもしれないなぁ・・

なんてことを個人的に想像(妄想?)しています。

佐渡という庭園文化未開の地を選んだ私は、これから小さな物語を始めていかなければいけない。

庭のその先へ続く物語。